リテイクが怖いのは「クオリティを免罪符に、間に合わせようとしない」ことに対する過去の憎しみがあるからだって気づいた話
昨日、仕事をしていて気が付いた。
私は「リテイク」がかかると一瞬でパニックになる性質があるようだ。
それまではある程度の正確さを持って組めていた工数見積もりも全然できなくなるし、ちょっと冷静に考えれば1つずつ小出しにしてクオリティ調整すればいいとわかるものを、未Fixの段階で大量印刷してしまい資源と時間を無駄にしたり。
なぜこんなにリテイクが怖いのかという事を自分の心に問うてみたところ、原因のようなものに2つ心当たりがあることに気が付いた。
学生時代のサークルにいた、絶対締め切りを破る神絵師の話
学生の頃、所属してた大学のサークルに化け物か? ってくらい絵が上手い人がいた。
サークルメンバー同士で絵や小説などの原稿を書いて持ち寄って、合同で本を作ろう! となった時にも、そいつは毎回絶対に納期に遅れるし、遅れたことに悪びれもしなかった。
絵は意味不明なくらい上手かったので固定のファンはたくさんいて、どれだけ遅れようが彼が絵を公開するだけで周りが湧き上がってた。
私はPM的な役割も兼ねてたので、
- そいつのせいでサークルの合同誌の脱稿が遅れること
- そんな奴が評価されること
の2つの視点から、憎らしくも思っていた。
本当は、
- ちゃんと期日を守って原稿を出してくれたメンバー
- 期日に遅れることで、無理を言って急ぎ対応していただいた印刷所さん
- イベントで弊サークルの本が出ることを楽しみにしてくれてた方々
といった人たちに迷惑が掛からないようオンスケで、全員の作品が載った本を発行したかった。
神絵師が神絵を描くからという理由だけで評価されるんじゃなく、全員の作品の見せ場として、「みんなの作品」を世に出したかった。
一人の天才のための本を作るのは、天才一人でもできる。
私は天才神絵師じゃないけど、一人で描きたい本は一人で描いてる。
誰にも迷惑が掛からないように、もっといえば誰かの都合で創作を邪魔されないように。その方が多分、製作手段として幸福であると思うためだ。
「誰かと一緒に作るときに限っては、クオリティのためなら、期日を破ってもいいと思わないでほしかった。」
という願いがあることに気が付いた。
ゲーム制作の現場で、リテイクを重ねすぎて施策のロンチが3か月以上遅れた経験
私はゲームプランナー時代、ゲーム内イベントの企画の内容や仕様などを書いて、実装までのかじ取りをしていた。
ただ私は、感情をのせて話すと(別にそこまで悲しくなくても)泣いてしまうという癖があることもあってか、協業先との直接の取引には一切混ぜてもらえていなかった。
なので協業先との会議で決まったことは上長や会議に出ている同期から聞き出して把握していたのだが、ある施策についての提案をしているとき、本来の納期から3か月遅れても一切GOサインが出ないという経験をした。
本気でユーザーさんの気持ちや、キャラの魅力を引き出すための企画を考えて、決して少なくはない時間を費やして企画書・仕様書を書く。
それを上長や同期に託し、協業先との会議にて提案してもらう。
定例会議を経て、1週間後。ダメだったと、作り直しだと突き返される。
エンジニアさんやデザイナーさんに告知されていた本来の着手開始日はとっくに過ぎている。
責められる施策担当者の私。
どうしたら正解なのかわからなかった。あのゲームを面白くするために、自分なりの最善は尽くしていたのだが、協業先と何をどう話したのかは上長や他の同期の口伝えと簡素な議事録の中からしか読み取れない。
何度も何度も、上記の工程を繰り返す。季節がどんどん移ろっていく。
終わりの見えない作業。
募る不信感。
シンプルに、ただシンプルに、しんどかった。
上長や他の同期が、協業先に媚びへつらって言われるがまま、なすがままになっているから……相手に対して下手に出ているから、こっちの施策が通らないのかも? と不信感を抱く事が、根拠のない疑心暗鬼を胸の中に抱いてしまう事が本当に嫌で仕方なかった。
仲間のことを信じていたかった。仲間だって思いたかった。
リテイクを繰り返し、仲間のことを仲間だとすら信じられなくなっていく過程がほんとうにしんどかった。
いつしかそれは、「クオリティを突き詰めるためなら、平然と納期を無視し、後輩を苦しめることもいとわない上長」という負のバイアスをかけた妄想を私の中に生み出し、その架空の存在への憎しみに転化してしまったのだと気が付いた。
憎みたくなかったな。
まとめ
主に上記2点がトラウマになったために、私は
「クオリティを突き詰めるためにリテイクを繰り返し、ロンチが遅れる」
的な仕事の進め方が超しんどいんだなって気づいた。
- 期限は絶対に守る
- 守れる期限の中で最高のクオリティを目指す
なら平気なのだと思う。
しかし、クオリティを求められるという事は、納期を破り私も周りも苦しくなることだと脳内で瞬間的に紐づけてしまうから、反射で身構えてしまうのだろう。
クオリティを追い求めることと、納期を守ることは両立しうる。
そうでないケースに当たったのは、運が悪かっただけ……。
上長や他の同期を恨まなければいけなかったことも、マイペースな神絵師を呪わなければいけなかったことも、今目の前にある状況とは一切関係がないのだ。
悔しかった、悲しかった私の過去の気持ちは、確かにある。
その存在は認めつつも、もう、わたしは「今」を呪わなくていい。
冷静に「今」を見つめよう。
↓ちなみに、ゲームプランナー時代に本当に作りたかったものについて考えた記事はこちら。
toshino-bakeinu.hatenablog.com