もののけとけもののけ

迷い走る人生 ほどほどにナイス

元ゲームプランナーが「仕事で企画をやりたかった」という未練の正体について考えてみた ~ 自分が作ったものを世に出して、人を救いたかったんです

※今日の記事はまだ統合しきれてない、痛みを見つめる内容なので、いつも以上にとりとめがないです。単なるお気持ち表明としてお読みいただければと思います。

 

「企画職」として仕事をしている後輩たちの日報や、事業部の業務に関する報告を読んだとき、胸がぎゅっと締め付けられるような気分になることがある。

 

私はもともと、ゲームプランナーという企画職の枠で採用され、この会社に入ってきた。1年目のうちは実際にゲーム作りの現場で運用施策の企画~実装までを担当しており、その間に頑張りすぎて体調を崩し、2年目になって人事部に異動してきて今に至る、という経緯がある。

 

後輩たちの仕事ぶりを見るたびに、彼らが頑張ってることをうれしく思うのと同時にどこかで棘が刺さるような感じも抱くのは、「仕事で企画をやりたかった」という私の思いがいまだにあるから……企画に携わる楽しさを知ってしまっているから、なのかもしれない。

 

 

 

 

事業部の仕事が楽しかったのは、 「自分が作ったものを世に出して人を救うことができたから」。

私が作った施策で、推しキャラの活躍を見れたファンの方が喜んで、明日を生きるのがほんのちょっとだけ楽しくなったり。そういうのが心から嬉しかったんだろうな。

 

「ゲーム」が作りたいわけじゃなかった。
IPや原作、作品自体の魅力を引き出すことだけがやりたかった。原作を好きな人が心から喜んで、活力をもらって明日からも生きていけるような気持ちになるようなモノづくりをしたかった。
ゲームバランスとかゲームシステムとかどうでもよかったし、売り上げ、利益、KPI、なんかなおさら、あきれ返るほど興味を持つことができなかった。

 

 

 

 

しかし再び事業部で仕事をするには

「向こうのしきたりに合わせなければならない」し、

「向こうの評価基準におもねる必要がある」。

一度飛び出してきた身分だから、向こうに戦力として認められないと戻ることができないのだ。認められるには、数字も追わなきゃいけないし、クエリも回せなきゃいけない。そしてそれらの「私はやりたくないこと」を、心身ともに健やかで、「心から望んで受け入れられる状態でなければならない」……。

 

しかし私はもう他人から要求される価値判断基準に囚われるのが馬鹿馬鹿しいと思ってしまっているし、数字を追わなくても死なないし、向こうの誰かに認めてもらう為に頑張ろうって全然思えない。

 

もう私は他者の承認を原動力に頑張ることができない。

 

別の誰かに認められなくても、私は私のままで完璧だし、愛そのものであると知ってしまったから、他者の承認を追いかけることに気力・体力を割くことができない。

 

だから他者からの承認を前提に回る事業部で仕事をしたいとは思えないんだけど、それでも、企画が楽しかったこと知ってるから……その楽しさだけ、恋しく思ってしまう。

 

 

 

 

人生全体の幸福度は間違いなく人事部にきてからの方が上がっているが、 「仕事の楽しさ」だけに関して言及するなら、事業部にいた時の方が抜群に高かった。

仕事に限らず「自分が作ったものを世に出して人を救うこと」ができたなら、事業部にいる子たちを見ても心苦しくなることなく、自分のやるべきことに集中できるのだろうか?

 

そう考えるとやはり、このブログを充実させるのが一番手っ取り早い気もする。
ここを起点に、誰かの心に寄り添うようなコンテンツを発信していけたらいいなって、そんな風に思って運用しているから。(時々全然関係ないことも書くけど、もともと雑記ブログとして始めたしまあいいんじゃないかと思っている。)

 

ブログ記事や、漫画や絵を描いていこう。それを読む事によって、少しだけ生きるのが楽になるような人がいてくれたなら。って、私はそう願っている。

 

 

↓「リテイク」が怖い理由をゲームプランナー時代のトラウマに見出した記事はこちら。

toshino-bakeinu.hatenablog.com

 

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