もののけとけもののけ

迷い走る人生 ほどほどにナイス

ツイ廃気質の私は、誰のために発信してるんだろうって改めて考えてみた。

 

こんばんは。

土日も仕事してたので全然月曜って感じがしません。犬吠埼カヤノです。

 

最近、Twitter上でやたらと「ツイッターでマネタイズ!」とか「収益化!」とかいう文言を目にします。

私がブログ書いて、ブロガーさんたちとつながり始めたからですかね?

 

そりゃ日々使ってるSNSを収益化できたら素晴らしいことだよなとも思いつつ、

なんだか違和感を感じていたので、その感覚に向き合ってみました。

 

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私はツイッターを自分との対話ツールと捉えていた

 「ツイッターを効果的に運用するには、ターゲットを設定し、彼らのニーズを把握し、そこに刺さるような文章を考えて呟こう!」

 

こういう感じのHow Toを目にすると、率直に思うことがあります。

 

めんどくさくね?

 

と。

 

そもそもが「つぶやく」ためのツールであるのに、他者のニーズとはどういうことなのだろうか。独り言にまで他者への配慮を求められるのか。息苦しくないですか?

 

私は、私の思考の整理のためにツイートをすることが多いです。

しいていえば、ターゲットとしているのは「自分自身」で、

ツイートする目的は「自分の心を見つめるため」

ツイートを重ねることによって、

「自分の心のモヤモヤに対する解像度を上げ、感情を殺すことなく日々穏やかに生きていける状態」

になることが目標です。

 

だからこそ、自分の好きな内容を、自分の好きな言葉を使って呟いています。

 

 

 

とはいえ、他人も見てくれている

 

それでも、ツイッターは「誰にも見せない日記帳」ではないので、ゆるいつながりというものは発生していきます。 

私が描いた絵や、つぶやきを見て、「いいね」と言ってくれる方が確かにいてくださるのです。ありがたいことに。

 

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184人もの人々が私の好き勝手なつぶやきを見てくださっている。

 

私は、ツイッター上に漂う、ゆるやかな人間関係が好きです。

 

常に返事のラリーを続ける必要はない。

でも、「いいね」と思ったら、それを相手にそっと伝える機会はある。

 

そんなゆるい関係性の中にいると、顔をつき合わせて話さなければならないリアルの世界よりは、いくぶんか楽に呼吸ができるのです。

 

そういう空気感は、大切にしていきたい。

完全にひとりぼっちではない、だけど常に誰かとべったりなわけでもない。

一人ひとりが自分の世界をもって、「呟い」て。

その上でゆるくつながれているこの状態を、心地よく感じています。

 

 

自分と他人、両方のために呟いていけばいいのでは?

 

完全に自分のために呟いていても、いいねと思ってくださる人がいる。

自分のために使いたいけど、ゆるくつながってくださる人たちにも恩を感じている。

 

なら自分と他人、両方のためにいいバランスでツイートすれば、もっと幸せになるんじゃない?

 

と考えました。

 

呟く内容は、私が呟きたいこと。

心や望み、感情に向き合うことや、物を作ることの楽しさについて。

ただそれを、「誰か他の人に語り掛ける」ような語り口で書いてみる。

 

もちろんすべてのツイートを他人に向けた表現に変えるつもりはありません。

「自分の言葉で呟きたい」という私の望みを打ち消すことになりますからね。

 

ただ、私の発信するものを、受け取ろうとしてくださってる方がいるのなら。

常に自分が投げたい剛速球ばかりではなく、たまには誰かとのキャッチボールを試みるのもすてきだよね、と思ったのです。

 

たとえば、こんなかんじで。

 

 

 

 

剛速球で壁打ちする日もあっていいし、

人と緩やかにキャッチボールに興じる日もあっていい。

 

どちらも選べるし、選んでいいと思うのです。

その方が多分、自然に楽しくSNSを使っていけると思うから。

 

 

ゆるりと、気楽に、生きてまいりましょうね。

 

 

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