20年前のお母さんも、幼い私の未練も、もうこの世のどこにも存在しない。
私が小学3年生になったくらいの頃から、母は私の宿題を見てくれなくなった。
勉強が絡むことになるとすぐに「お母さんは馬鹿だから何も教えてあげられない」という母が、あんまりさみしそうな顔をしていたので、「じゃあ一緒に勉強しようよ!」と毎回必死になって声をかけていた。
しかしその誘いに、母が乗ってくれることは一度もなかった。
そうして私は中学生になり、高校生になり、浪人を経て都内のまあそれなりに名前の知れた私立大学に進学した。
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それから約20年後。
先日私が帰省した時、母は自分から仕事に関する勉強をしていた。
母が何かの勉強をしているところを見るのは、もしかすると初めてかもしれなかった。
どうしたの急に、と問うてみたら、母は決まりが悪そうな顔をして、
「今働いてる職場で、正社員登用の話が出てて。もっと仕事任されるようになったら、馬鹿なままじゃ恥ずかしいじゃない」
と答えてみせたのだった。
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長い間止まっていた時は、知らぬ間に動き出していた。
小学生だったあの時、
(お母さん、自分のこと馬鹿だなんて言わないで。お母さんが自分のこと馬鹿だって思っててつらいなら、いっしょに勉強して克服しようよ)
って思ってた、でも当時は母にその思いが伝わらず、叶うことのなかった幼い私の未練も晴れたんだな、と気がついた。
そして昔の母も、「自分がバカであることが恥ずかしい」と思いながらもそこから脱する選択肢を取らなかった母も、もういない。今の母は確かに、自分で自分の人生を変えるための歩を刻み始めている。恐る恐るかもしれないが、その足取りは、強くしっかりとした軌跡を残していく「未来」への歩みだ。
20年の窒息から解き放たれて、ようやく呼吸ができると思った。
あの時苦しかった母も、私も、もうこの世のどこにもいない。
今、息をしている。
胸いっぱいに吸い込んだ令和の朝の空気は明るい。
秋の始まりに澄んだ風の匂いを嗅いで、時間は再び動き出したのだ、ということがはっきりと分かった。