もののけとけもののけ

迷い走る人生 ほどほどにナイス

このひと月の間の体験が濃すぎて、仮に戻るにしてもどんな顔して会社に戻ればいいんだろうって。

 

こんにちは。犬吠埼カヤノです。

 

先月稼働分のYoutube動画漫画の請求書を、

自分で作って取引先のクライアントさんにお渡ししてきました。

 

私、会社にいる間はプロジェクト内の財務管理というか、

外注しているイラストレーターさんとの

見積書・請求書のやり取りと管理を担当する

仕事も任されていたので、

これで請求することも請求を受けることも

両方体験済みということになります。

ずっと会社の中にいたら恐らくできない体験でした。

 

この休職期間中の体験が、あまりにも濃すぎるんですよね。

 

休職に入ってから、

まだ1か月と1週間くらいしか経ってないのに、

その間に私は

 

  • 自力で「営業→プランニング→スケジュール管理→制作→納品→分析と次の計画」のフローを完遂して約84,000円稼げた
  • ツイッターフォロワー数が約200人→約1,200人と爆伸びした
  • HSP=繊細さん」がイキイキと活動できる場所を作りたいという願いを持った
  • ただ海と山と神社がそばにあるという理由だけで、鎌倉に引っ越そうと着々と準備を進めている

 

という、濃い体験と、

それに伴う深い学びを得まくっていました。

 

もしここで会社に戻るとなると、

まずは復職プログラムとして、1~2ヶ月ほど

決まった時間に出社して決まった時間に帰る……

という仕組みの下で出社をしていくことになります。

それが終わった後も、まずは慣らしとして、

簡単な作業のみを任される期間がしばらく続きます。

 

確かに復職していきなり

裁量の大きい仕事をデン! と任されて

また休職に……となってしまったら

意味がないので、こうした手厚い

復職サポート制度があるのは

本当にありがたいことだと思います。

 

でも私、思うんです。

おそらく、少なくとも今の状態では、

その仕組みの中で1日8時間×週5日を拘束されたら、

私は退屈で死んでしまう。

 

 

いつか恩返しをしたい気持ちはあるんです。

 

「きっとここじゃないんだと思うよ、カヤノが輝ける場所はもっと別にあるって、ほんとは無意識でそう思ってるんじゃないの」

って背中を押してくださった、大好きな上長の姉さんとか、

 

社内ニートだった期間に

「ただ給料泥棒してる感じで申し訳ないんです」

って私がうちあけたら

「カヤノがそれを、申し訳ないと思わなくなれたらいいね。」

って言ってくださった弊社の代表取締役CEOとか、

 

「カヤノちゃんはすごく言葉を大事に使う人だなっていう印象があった。それを大事にしてほしいなって、これは僕の願い」

って勇気づけてくださった、人事部の方とか、

 

「カヤノちゃんになら話せるんだ、カヤノちゃんだから聞いてほしい」

って私をたくさん頼ってくれた、愛しい同期や後輩達とか。

 

私はみんなみんな大好きで、

会社で一緒に働いてたみんなのことがすごく大好きで、

できることならこの先もずっと一緒に働いていたかったって

本当は思ってるんです。

 

でもそれは、私自身をすり減らすことと

同時進行でしか成し遂げられないことだと、気づいてしまったんです。

 

 

ひどく傲慢な本心を打ち明けましょう。

私は幼いころから、

良くも悪くも自分のことを「特別」だと感じ続けていました。

 

それは勉強ができるとかそういうことではなく

(実際、中学まで成績は学年トップを走り続けていたのですが)、

何をやっても他の子と同じにならない。

同じようにしても、どうしてもそれができない。

でも、私が私の心のままに素直に自由にやれたなら、

本当に素晴らしい世界が私の目の前に広がる、という感覚でした。

 

しかし私の地元は田舎で、

いわゆる出る杭をメッタ打ちにする社会でした。

旧来の慣習が慣性のまま、場の空気に張り付き続けており、

「カヤノは女の子なのに皿洗いもしないで……」とか

「女の子が勉強できるとモテないぞ、

 少しくらい手を抜いて成績を落としなさい」とか

言われたりするのは日常茶飯事でした。

 

幼く自由に尖りまくっていた私の心は叩かれ、

ボコボコにされて多少「球」に近づいたものの、

それでも核の部分に宿る炎はずっと消えることなく、

「私は特別なのだ」という思いを抱き続けて今に至ります。

 

多分その「特別」だという感覚とは、

ほんとはだれでも持っているがそれに気づくことが叶っていない、

「自分の人生を自分で決めて切り開く力」を自分も持っている。

という事への確信のかけらだったのだと思うのです。

 

本当の意味で、人はだれもが特別な存在なのだと思います。

でもそんな自分の特別さを信じることができずに、

周りのみんながそうしているからという理由で「個」を捨て

朱に交わろうとするから、「凡」に帰する。

 

私は朱に交われなかった。

凡に帰することができなかった。

正確には、「みんなと同じ」になろうとしたけど、

我慢できずに何度も何度も飛び出してきてしまった。

 

私が、私として「尖る」生き方を選ぶべきだと、

そう確信する声がずっと昔から私の中でささやいていて、

これまでの25年の人生の中で今、この声が一番大きく聞こえるから。

 

だから、大好きな人たちがいるあの会社にも、たぶん戻るべきじゃない。

 

 

勝手に卒業式の気分。寂しいです。

 

まあ籍は置いてあるし、

「籍があって復職する意思がある」状態じゃないと

傷病手当も受給できなくて死んでしまうので、

スッパリ「退職」って感じになるのは

おそらくもう少し先だと思いますが。

 

それにもしかしたらこの先、本当に自分の

為すべきことのためにフルコミットしてった先に、

「やっぱり元の会社でできることがまだある」って

思えるかもしれないですしね。

 

とりあえず、今は、

「私が私として尖る」ように生きること

地道に実践していこうと思っています。