もののけとけもののけ

迷い走る人生 ほどほどにナイス

誰かの面白さのために、女性という性別を消費されたくない。

 

こんばんは。犬吠埼カヤノです。

ツイッターのタイムラインに流れてきた、以下の記事を読みました。

 

www.gentosha.jp

 

読んで思い出したのが、以下の記事でも言及した、

会社の人たちを対象に研修合宿を開催した時のことでした。

 

toshino-bakeinu.hatenablog.com

 

ちょっと感情と向き合おうかなと思うので、

つらつらと文章にしてみようと思います。

 

 

バスの中さえ、彼らにとってはキャバクラと変わらない。

 

その研修合宿は海沿いの地域の宿を借りて行われたので、

移動の際はみんなでバスに乗って動いていました。

 

運営である都合上、

私はバスの前方に座らざるを得なかったのですが、

バスの前方に陣取れるのは

おおよそ組織の中で幅を利かせている「陽キャ」の人々。

タフで、騒ぐのが好きで、自信に満ちている若い男性陣です。

 

彼らがバスの中で口にするのは、

どういう女ならヤレるとか、セフレや風俗とか、そういう話。

 

シンプルにしんっっっっ…どかった。

同期が出張の時に、2つ年上の先輩に連れられて

ソープに行った話とか、聞きたくなかったな。

 

しんどかったから、とにかくバスに乗っている間、

私はイヤフォンで耳を塞いでいたし、iPadで絵を描くことに集中して、

必死に外界からの情報を遮断しようと努めていました。

 

その時に描いた絵が、以下の矢田寺成美なわけなんですけども。

地蔵菩薩に救いを求める、すがるような気持だったってことですかね。

 

f:id:toshino_bakeinu:20191028190551p:plain

 

「自分がそういう対象として見られてないのが悔しいんじゃないの?」

 

バスの中の会話は、陽キャ同士で行われていたものですから、

私はそこに混じってはいませんでした。

 

でもつらかった。

なんでつらかったんだろう。

そう考えていると、以前、知り合いの美しい女性が

何気なく放ったこの言葉を思い出します。

 

「自分が性的な目で見られる対象として含まれてないのが悔しいからじゃない?」

 

そんなわけはないんですよね。

というか、シンプルに同性の口からその言葉が出るという事、

それ自体の方がショックでした。

 

だってそれ、

「男性に性的な目で見られることが女性にとっての名誉である」

という価値観を、他ならぬ女性自身が持っている、

という事の証明になってしまうから。

 

えぇ~そんなん、前提として自分を性的消費物と定義した上で、

「男性に認めてもらえる価値ある商品」として振る舞えることへの自信じゃん。

人間としての尊厳はいずこへ。

 

じゃあ結局なんで私はそういう話題がつらいんだ

 

シンプルに、「女性」が、

「同じ土俵で、対等に協力し合える仲間」

として見られてない。

女性という性別を持っている人間を、

人間扱いしていない人たちと関わっていることが

息苦しかったからだと思うんです。

 

同じ会社で、

切磋琢磨しあって、

お互いに人間として尊敬しあいながら、

協力して仕事を行っていきたかった。

そこに男性である、女性である、

という区別はあってほしくなかった。

 

でも、現実は違うんですよね。

 

体調不良の原因について、生理だと答えたら、

男性上司から

「それ、カヤノがセクハラになるから言うのやめた方がいいよ」

って言われたこともあった。

体調不良の原因を答えたらセクハラになるんですか?

 

仕事の出張に絡めて、同期が先輩に連れられて

ソープに行ったって話を大声でしているのを耳にした。

その同期が男性であるからこそ、

そういうコミュニケーションをとれるわけですよね。

 

別に男女で区別をつける「価値観」は

各自の中にあったっていいと思うんです。

実際いろいろ違うこともあるし。

 

でもそれを、現実の世界に表出・侵食させて、

それが「普通」になってる環境の中で息をするのが、

毎秒毒ガスを吸い込むような感覚になるほど気持ち悪かった。

 

その環境の中では、

私がどれだけ頑張ったって、属性として「女」である時点で、

胸の大きさや、抱けるかどうかの判断基準であけすけに語られる

「消費物」のなかの一つでしかないという感覚を

皮膚の毛穴からぞわぞわ染み込ませられていくようで。

そんな場所にいるという事が苦しくて、悲しくて、仕方なかった。

 

笑い飛ばすことはできないです。

ナンパも、痴漢も、セクハラも。

笑い飛ばせない私が弱いわけじゃないと思うんです。

笑い飛ばせることを強さと定義するとしたら、それは、

「消費されるのに耐えうる、良い消費物」

としての優良品マークでしかないと思いますし。

 

自分の中の毒ガスを外側に滲み出させない人もいる

 

でも、全員が全員、

全世界キャバクラ状態であけっぴろげに

「女性はしょせん男性の消費物」という毒ガスを

振りまく人ではないという事もまた、私は知っています。

 

私があんまりバスの中でしんどそうにしてたからか、

サービスエリアでの休憩の時に、席代わろうか?

って声かけてくれた男性もいました。

 

全くそういう話を公の場ですることなく

(少なくとも私が知ってる限りでは)、

ひたすらにうまいラーメン店を追求し続けている人もいます。

 

そういう人たちがいるから、

私も合宿の夜、遅くまでボードゲームする場に

居座り続けていることができてたんだと思うんです。

もしこの世のすべての男性および

男性に消費されることを是とするか気にしていない女性が、

全員「価値観型毒ガス」をばらまくタイプの人だったら、

おそらく私はそもそも社会に出れていません。

 

再掲にはなりますが、以下の記事でも書いたように、

やはり私は陰キャなので、

嵐のように毒ガスも何もかもまき散らされることのない

陰キャの王国」を築いてその中でゆるりと生きていく方が

圧倒的に幸せになれるんじゃないかと思っています。

 

toshino-bakeinu.hatenablog.com

 

すべての人にそうなれとは望みません。

ただ、女性という存在を性的消費物として

扱うコミュニケーションを、

絶望的につらく感じる人がいることも、

頭の片隅に置いてほしいと願っています。

 

アシタカも言っています。(言ってない)

 

陰キャは森で、陽キャタタラ場で暮らそう。ともに生きよう。会いにいくよ。必要な時だけ。

 

必要な時だけヤックルに乗って会いに行けばいいじゃありませんか。

それで平和に生きられるってんなら、双方にとってそれが幸福です。

 

心地のいい人たちと、心地のいい距離感で。

そうでない人たちとも、ちょうどいい距離感で。

 

誰も無理をしない、

誰も無理して悲しんだり傷つくことのない、

「いい感じの距離感」であらゆる関係性を築いて

生きていきたいなぁ。と思うのでした。

 

 

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