もののけとけもののけ

迷い走る人生 ほどほどにナイス

東方輝針城4面ボス・九十九姉妹は三姉妹でも成立し得たのではないか?

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琵琶、琴、ときたら忘れちゃいけない日本の弦楽器がもう一つありますよね?

上海アリス幻樂団による弾幕シューティングゲーム東方projectシリーズの第14弾「東方輝針城」。その4面のボスとして、九十九弁々と九十九八橋という姉妹のキャラクターが登場する。

彼女たちはそれぞれ、「琵琶」と「琴」の付喪神として、主人公たちの前に立ちはだかるのだが、かねてより私はこの二人を見るたびにある疑問を抱かずにはいられないのであった。

 

「三味線」のご姉妹はいらっしゃらないんですか??

 

と。

 

考えてもみてほしい。和楽器教室で習えるのは大体三味線・お琴・尺八・和太鼓…とかそんな感じだ。あと篠笛とか。「和楽器 弦楽器」や「和楽器 弾き物」などのくくりで考えれば、「三味線・琴・琵琶」がぱっと思いつく人が多いだろう。

 

なんで三味線だけ和弦楽器三姉妹の中ではぶられてんの

 

そんな率直な心の声に従い、「三味線の付喪神っているのかな?」ということについて、ゆるく調べてみることにした。

 

九十九姉妹の元ネタ妖怪

「古びた琵琶の付喪神」九十九弁々と、「古びた琴の付喪神」九十九八橋。

彼女たちの元ネタはそれぞれ、鳥山石燕による妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪である、「琵琶牧々」と「琴古主」という付喪神とみて間違いないだろう。

どちらも、長く使われた楽器が妖怪化した存在である。

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鳥山石燕『百器徒然袋』より「琵琶牧々」

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鳥山石燕『百器徒然袋』より「琴古主」

 

三味線の付喪神がいるのか調べてみた

 水木しげる御大による妖怪図鑑、「日本妖怪大全」によれば、

三味線の付喪神も存在しているとのことであった。

 


 

 その名も「三味長老」。なんとも覚えやすいネーミングである。

 

見た目は、三味線の胴の部分を顔に見立て、長い着物のような布を頭まですっぽりとかぶった猫背の人間の姿に似ている。手には撥を持ち、少しとぼけたような、困った表情をしている…というものであった。どことなく、地方のゆるキャラを思わせる脱力系のビジュアルをしており、愛らしい。

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鳥山石燕『百器徒然袋』より「三味長老」

「沙弥から長老になれぬ」ということわざがある。「沙弥=出家して正式な僧になっていない子供」はいきなり僧のトップである長老にはなれないということで、物事には順序がある、という意味の言葉だ。


「三味」が「長老」になるほど長い年月を経てようやく妖怪化できたのが「三味長老」なのだそうだ。

 

魔力の入れ替えに失敗して消えちゃったのかもしれないね

 「東方輝針城」のストーリーでは、打ち出の小づちの魔力によって生命を与えられた付喪神たちがたくさん生まれていた。しかし彼らは、異変が収束し小づちの魔力が抜けるにつれ、再び元の物言わぬ器物に戻ってしまった。

小づちに代わる新たな魔力エネルギーを得ることに成功した堀川雷鼓(エクストラステージボス / 太鼓の付喪神)・九十九弁々・九十九八橋は、輝針城のあとの物語でも人の形を得て精力的に活動しているが、その陰には無数の「新たなエネルギーの獲得に失敗した」九十九の神たちの死があったのだろう。

 

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もしかしたら三味線の付喪神も確かにその時生まれていて、姿を保てず消えてしまったうちのひとりだったのかもしれないな と考えた。

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そんな未来もあったかもしれないよね

 

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物心ついてから初めて存在を認識した「神社」に行ってきた

今から20年以上前のことである。
私は幼稚園に入る前、2歳ごろまで地元の児童館に毎週欠かさず通っていた。その児童館のそばには小さなお山と、石造りの大きな鳥居があって、たくさんのどんぐりを拾うことができた。私が物心ついてから初めて存在を認識した「神社」は、恐らくそこだ。

初めて知った神様に、ふとまた会いたくなって、お盆休みの帰省を利用して訪れてみることにした。


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20年前と変わらぬたたずまいの鳥居が、そこにあった。


鳥居は、あった。
紙垂はなく、しばらく人の手が加えられた様子はない。あたり一帯は雑草が伸び放題で、真夏の生命を謳歌しているように見えた。左側に写る児童館は近年使われていないようで、錆びついた遊具が静かに眠りについていた。

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小山の上の神社


鳥居の前で一礼し、山に向かって進んでいくと、長年の間に降り積もった草葉の影に埋もれるようにして拝殿に至る石の道が存在している。
死にかけてもがく蝉や地を這う虫たちを踏まないように注意しつつ、一歩一歩大切に歩を刻んでいく。


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黒目がちでチャーミングな目をしている。

やけにつぶらな目をした狛犬が、大人になった私を見つめていた。

拝殿に向かって立ち、財布の中を確認すると硬貨は50円玉一枚だけしかなかった。
それをそのまま静かに入れて、二礼、二拍手、それから、いつものお祈りの言葉を胸の中でしっかりと唱える。
祓えたまえ、清め給え。
祓えたまえ、守り給え。
祓えたまえ、幸え給え……
別に何をお願いしたわけではない。ただ、久しぶりに会いたくなって、挨拶に来ただけなので、本当にただ祈りの言葉を唱える「いま、ここ」にだけ全力で意識を向けて祈った。

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拝殿から参道を見る


最後に一礼して顔を上げると、大きな羽根の黒揚羽が目の前をひらひら飛んでいるのが見えた。そのまま私の体の周りを、輪を描くようにゆっくりと舞い、鳥居のある方に向かうと夏の空に溶けるようにして去っていった。


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私たちは、守られていた。


山を降り、鳥居を抜けてお辞儀をし、帰る直前に振り返って気がついた。

児童館は、聖域の中にあった。
鳥居の「向こう」に存在していたのだ。
私は、自我が芽生えるよりも前から、ここの神様の見守る中で、神様のお庭の中で遊ばせていただいていたということになる。

途方も無い愛だと思った。
風を包むようにして飛んでいた黒揚羽の正体も、何となくわかったような気がした。

いつのまにか辺りに満ちていた風は、果てがないほど透明だった。

 

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10年の歳月を経て、いじめっ子たちの家を前にし思うこと

お盆の帰省で、実家に帰ってきたついでに、約10年ぶりに地元の街を散歩してきた。生まれた時から中学までをここで暮らし、高校は少し遠い町に行ったから街を歩くことはなくなったけど、浪人を経て19歳くらいまでずっと住んでいた街だ。

 

私はいじめられっ子だったので、街にはかつて私をいじめた子たちの家もたくさんある。私のことを集団で省いて悪口言ってた子たちの家も、私が話しかけるだけで大げさに飛びのいて睨みつけてきた子の家も、私のペンをインクが切れるまでずっと借り続け、使い物にならなくなったらそのまま押し付けるように返却してきた子の家も、全部がこの街の中にある。

 

10年の時を経て、変わらずそこにあり続けるその子たちの家を前にして、東京のOLになった私が気づいたことを漫画にしてみた。

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やられたことは 忘れてない 覚えているけど、今の私がそれを気にするかどうかは全然別の話なんだよね。

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夏コミで抱いた「自分の思いの正体」を見に行った漫画

今日は夏コミにサークル参加をしていたのだが、なんと開場1時間でめちゃくちゃ帰りたい気持ちで満たされてしまった。その自分の中にある「帰りたい気持ち」と向き合い、過程を漫画にしてみた。

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出オチ的に虚無に陥る

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天使の顔して正しいこと言ってそうだけど、その正体は私の「恐れ」。

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恐れの声をちゃんと聴く。恐れがそこにあることを認める。

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もう恐れなくていい、と思ったら、そう伝えて、安心させてあげる

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押し殺してた本心の声は意外と無意識下で自分を苦しめてるものなのです

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恐れも、本音も、どちらも統合して「自分」になる

 

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自分が心から楽しいと思えることをやっていこう

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他人の怒りによって心を傷つけられた時の捉え方

見ず知らずの他人に「叫ばなければいけなかった」おじさん

金曜夜の渋谷を歩いていた。

道は大いに混雑していて、とても車がスムーズに通行できる状態ではなかった。
そんな中、無理やり右折して割り込んできた車にびっくりしていたら、ドアが開いて「ちんたら歩いてんじゃねえよボケが!!」と叫ばれた。

 

叫んだおじさんの顔はよく見てないけど、なんだかおじさんの声には、おじさん自身が抱える「辛さ」が滲んでいるように感じた。


怒りは、他人にぶつけると増幅する

この状況をおじさんの視点から見てみよう。
金曜夜の渋谷。人がやたらめったらあちこちではしゃいでいて、とてもじゃないが車での移動はスムーズにはいかない。けれど、おじさんには車で行かなくてはならない場所がある。焦りが苛立ちにつながり、楽しそうな人々の様子も、夏らしい熱気も、全てを負の要素として受け止めてしまい、イライラを加速させる。
自分の行動を邪魔される苛立ちは限界を超え、ついにその場にいた我々のことを怒鳴りつけてしまう。

 

…おじさんは、我々を怒鳴りつけたことで救われただろうか。
答えは確実にNOである。
考えてもみてほしい。あなたは誰かに八つ当たりした時にスッキリしたとか心が晴れたとかいうことがあるだろうか?
おそらく、そういう時は余計にイライラが増幅するか、優しい人であれば衝動的に相手を傷つけてしまった罪悪感で胸が苦しくなるだろう。
いずれにせよ、おじさんが我々を怒鳴りつけたことで得たプラスの要素は、皆無だ。

 

それでも、おじさんは我々を怒鳴りつけずにはいられなかった。
それは他ならぬおじさん自身が、苦しくて苦しくてたまらなかったからだ。
イラストにするとこんな感じである。

 

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自分の怒りで誰かを傷つけちゃう人は、 両刃のナイフに腕を貫かれて痛すぎて暴れているうちに 周りにかすり傷を負わせてるようなものである

 

自分に深く突き刺さった「不快」の刃の傷口が痛くて、その痛みから暴れたくなって暴れるが、誰かに刺さるとその分自分にも深く押し込まれて余計に苦しむ。そしてさらに痛くなり、暴れたくなる気持ちも増幅する…
完全にかわいそうなループにはまってしまっている。しかし我々には、何もすることはできない。
暴れるおじさん、近づく者をはねのけるおじさん。彼に深く突き刺さった刃を抜くことができるのは、おじさん自身の苦しみからおじさんを解放してあげられるのは、おじさん自身しかいないのだ。

 

我々が受け取ったのは、ほんの些細な切り傷だけ

一方で、とばっちりを受けた我々もいる。
しかし図から分かるように、我々はおじさんの振り回す両刃に「かすった」だけなので、唾でもつけときゃ一晩で治る程度の浅い傷しかついていない。

 

なぜ浅い傷だと言い切れるか。
それは、本当の意味で我々がおじさんとは「無関係」な個人だからだ。
おじさんに怒鳴られたことで、我々の人生になんらかの影響があるか?
おじさんが傷ついている状態を、我々はなんらかの手段で救うことができるか?
答えはどちらも、NOである。
どうしようもないし、どうにもできない。
ゆえに我々は、この傷を後生大事に抱えて生きていく義理はないのである。

 

自分にナイフを刺さないようにする為に

我々はおじさんに一切の救いの手を差し伸べることはできないが、一つだけこの出来事から学ぶことはできる。

我々自身が、「おじさん」にならないようにする、という意識を持つことだ。

自分の中に不快のナイフが生じて、それがちくちく心を刺してきたら、一度その「不快」に真正面から向き合ってみてほしい。
「私は今、イライラしている」と、自分の心の中に不快のナイフが存在していることをまず認める。そしてそのあと、「なぜ私はイライラしているの? その原因は?」と静かに心に聞いてみてほしい。
そうすれば、ナイフは執拗にあなたの心を刺すのをやめ、刺す理由を考え始めるだろう。結果、誰かにかすり傷を負わせるのも、あなた自身を傷つけるのも防ぐことができる。

 

自分の中にある不快感、苛立ち、恐れ、怒り…
そうした両刃のナイフの存在を、まず認めることによって、我々は心の痛みから初めて自由になれるのである。

 

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【自己紹介】負け犬人生やめました。~化け犬として生きていく~

「負け犬ですか? いいえ、化け犬。」

はじめまして。犬吠埼カヤノです。

茨城出身の25歳OLです。今は人事(人材育成・企業文化浸透)の仕事をしています。

 

これまでの経歴を簡単に書くと、

 

大学で心理学を専攻…といいたいところだが、実際は4年間すべてを同人活動に捧げ、創作狂いのオタクライフを満喫する。

東証一部企業にゲームプランナーとして入社後、頑張りすぎて心身共にぶっ壊れる。

人事になり、

「ぶっ壊れるまで自分が頑張ってた理由」

「漠然とした人生のしんどさの正体」に気づく。

同じ様に苦しむ若手の力になりたいと思うようになる。

 

という感じです。

 

ブログを始めた理由

先述の経歴にもあるように、私は昨年度一回ぶっ壊れています。心療内科に行ったら病名付きの診断書をいただきましたし、ストレスが原因で月経も4か月ほど止まっておりました。完全に負け犬だし、会社の犬でしかありませんでした。

で、

なんでそんなことになっちゃったのか、どうして壊れるまで私は頑張り続けていたんだ、と、その理由をひたすら考え続けていたら、少しずついろんなものが見えるようになってきたんです。犬死にしかけてた私が、化け犬として、今までとは違ったエネルギーをもとに生きていけるようなヒントを見出しかけています。

 

ここは、そんなちょっとだけ「人生のしんどさの正体」をわかり始めてきた私が、何となく人生しんどいな、でも毎日頑張って生きなきゃ、みたいに思いながら日々を生きてる若手世代に対して、少しでも何か力になれるような、生きていくことを楽にできるような情報を発信できれば…と思って立ち上げたブログです。

 

書いていくこと

基本的には雑記ブログなので、日々思ったことや考えたことをまとめていく形になるとは思います。

 

本読むのが好きで、過去一年半の間に80冊ほど読破&要約したので、おすすめの本の紹介なんかもして行けたらなと思います。

 

あとは、日本の八百万の神様や妖怪が好きなので、そういう話もしつつ、心の中の怪物=恐れと向き合う話もしていこうかなと。

 

 

どうぞよろしくおねがいします!!

 

 

 

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